院長ブログ
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寒さの記憶
2026年1月31日|院長ブログ
寒いですね。体が縮こまりそうです。
感染対策で、窓を開けて換気しているので、冷たい風がヒューヒュー入ってきます。気温が低いと、ちょっと窓開けただけでヒューヒュー勢いよく空気が入ってくるのが感じられます。
ちょっと暖かいと、寒い空気は入ってこないかわりに、感染予防に換気がされているのか不安にもなります。
おなか出したり、下半身出して診察を受ける妊婦や患者の方には大変申し訳ないです。
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寒いといえば、今まで私が生きてきた中で「厳しい寒さ」と感じたのは
アフガニスタンの冬、高校時代の雪山登山、1995年の神戸の震災の後の冬です。

アフガンの峠越え:寒かった!
アフガンには1年間住んでましたが、夏は40度以上になる一方、その年の12月にマイナス11度を記録しました。
寒波の後、水道管は凍ってしまい、水が出ず料理、洗濯、トイレの水を流す水が確保できなくなりました。
電気は停電で止まっていて明かりや暖房も使えない。朝や夜はろうそくの明かりを便りにし、
部屋の中でも寒いので、セーターを着て寝ないと眠れず、寒すぎて布団から顔を出して眠ることすらできません。

アフガンの峠超え 寒いです
屋外では不凍液を入れていなかった車のエンジンが壊れ、水道管はあちこちで破裂してしまいました。
アフガニスタンの現地人は着るものが十分ないので 数十人単位で人が死んだはずですが
ニュースにすらなりませんでした(新聞等メディアが発達してないので)。
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高校生の頃には山岳部に所属していて、信州の雪山に登りに行くことが何回かありました。標高2500メートルの雪上にテントを張り、ピッケルと使った滑落停止とかアイゼンの使い方とか、練習に行った時でした。外はマイナス18度。
登山覚えたての高校生なので、汗で濡れた体が冷えて、テントの設営地について休んでいたら、眠くなってきて、気温はマイナス18度で、幸い他の部員もいて、助かったのですが、あのまま眠っていたら、もうこの世にはいないところでした。
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1995年1月の阪神大震災では、私は神戸の真中に住んでいたのですが地震の後、電気や水道・ガスのライフラインが止まってしまい、不便な生活を強いられました。
雪は降りませんでしたが、部屋の中にいても温める電気やガスがないと寒いものです。夜は真っ暗。
とくに水は困りました。
都会では、排泄するにも水が要る(野グソはできない)ので、ウンチができなくて、困ってしまうのです。
電気がなければ医療機器を動かすこともできません。仕事にならない。
地震の後しばらくお風呂に入れてもらったり水をもらいに行きました。
自衛隊が設営したテントの風呂もありがたかったです。
神戸の冬は気温は寒かったですが、人の心の温かさを感じました。
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清潔 不潔
2026年1月28日|院長ブログ
ときどき帝王切開の手術をしますが、冬場なので、手洗いの水が冷たく感じられます。
医療の現場では、手術や感染症の現場では、手洗いをして、手術着や予防衣を付けた後「余計なものにやたらと触ってはいけない」状態になります。
テレビのドラマで手術中に「汗拭いて」と言って助手に汗を拭かせる外科医がいますが、あればエラそうにしているわけではなくて、自分の顔を触ると手が不潔になるからです。ちなみに手術室で使う「不潔」とは「清潔(滅菌されて感染のリスクのない状態)ではない」という意味で、一般に使われる「汚染されている」という意味ではありません。
「ちょっと顔のここんとこ掻いて」
「ずれたメガネ直して」
なども手術中に自分の顔を触れない外科医が出すリクエストの一つ。
手術に加わっている医師で、操作をしていない手はどうしているかというと、滅菌されたドレープ(手術野を覆う布)に手をおろしていることが多い。

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私が以前勤めていた大病院で、ある有名な外科医と同席して手術をする機会があった。
手術の腕はたしかに上手で、ずばずばと目標の臓器に達して、最小限の傷で患部を摘出する。
そして要求することも厳しい。
「そこ!不潔だから触るんじゃない!」
としかりつけながらも、てきぱきと手術の手は動いて、順調に手術が進んでいった。
緊張する手術の山場を越えて手術も終わりに近づいたときだ。
小さく
「イヤーン」
と若い女の声がした。
外科医の横にいる機械出し(メスや鉗子を出す役割をしている)の看護師の声。
鉗子を取りに手を伸ばすフリをして、そおっと若い看護婦の手を握ったのでした。
「先生!そんなとこ触らないで下さい!」
横にいた年配看護婦からたちまちヤジが上がった。
その外科医は手術は早いのですが女にも手が早かった。
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天気図
2026年1月25日|院長ブログ
バカ寒いですね。
テレビの天気予報では、玉ねぎを輪切りにしたような等圧線で、寒い風邪が吹くパターン。

この地域では雪は降りませんが、乾いた西風が強い。
私の高校生のころ山岳部で天気図を描く練習をつんだことがあります。
当時の山岳部ではインターハイをめざしていました。
山岳部にも、インターハイがあるのです。4人一組で山に登って、降りてくる競技。
採点のポイントとしては、一定量の重さの荷物を背負って、時間に正確に移動できるか、
ちゃんとテントが設営できるか (ペグの打ち方の角度も採点対象となるのです)
キスリング(分厚いキャンバス地のリュックサック)に装備品を入れて、尋ねられたときに、正確にそこから取り出せるか、
というような、いちおう競技があったのです、当時は。
その中で「天気図が正確に描けるか」も採点対象で、自分は天気図を描く係でした。
NHKのラジオ第二放送で「南大東島、西南西の風、風力3 晴れ・・・」などと定時に放送される気象通報を聞いて
天気図の等圧線を描いていく。
等高線のひき方とか、センスが問われる部分もあって、ハマってみると楽しいです。
体力はあったのですが、頭脳が弱かったので天気図や装備チェックで点が取れず、残念ながらインターハイには行けませんでした。
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試験の季節
2026年1月20日|院長ブログ
この時期受験のシーズンですね!以前ネット上の掲示板に出ていたネタですが、笑えたので転載します。
《 中国人の日本語試験とその回答 》
問1:「 あたかも 」を使って短文を作りなさい。
答: 「冷蔵庫に牛乳が、あたかもしれない。」
問2:「 どんより 」を使って短文を作りなさい
答;「 僕はうどんよりそばが好きだ。」
問3: 「まさか~ろう」を使って短文を作りなさい
答: 「 まさかりかついだきんたろう。」
問4: 「もし~なら」を使って短文を作りなさい。
答: 「もしもし、奈良県の人ですか?」
問5: 「うってかわって」を使って短文を作りなさい。
答: 「彼は麻薬をうってかわってしまった。」 笑える!
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冬場にクルマをダメにした話
2026年1月18日|院長ブログ
冬のスポーツといえば、スキー・スノボ。
私も昔(といっても20代の頃)は近場のスキー場にクルマでよく通いました。

事故車と同型のゴルフ
神戸にいた頃は六甲山を超えて、日本海側へ行きます。
冬の夜明け前、裏六甲の凍てついた道を車で走ったときのことです。
市街地から離れてすぐ、なので当然タイヤも普通のタイヤ。
友人(男)と二人、車の中でふざけて、
「こういう路面が凍った道で、ドリフトすると、すぐテール(後部)がスライドするんや」
と、レーサーを気取って、ちょっとハンドルを強く回したのが、誤りのモト。
冬の凍てついた、六甲の路面。しかも下り坂。
「あっ!」
ハンドルをひねった瞬間、クルマのコントロールが効かなくなり、路上で車がスピン。
道路の右側壁面のコンクリートにガツンとぶつかってクルマが止まりました。
クルマは頑丈にできていたので命の危険は感じませんでしたが、自分の乗っていたフォルクスワーゲンの先端の角が、かなりひしゃげ、ボンネット、バンパー、フェンダーがゆがんだ。
一応走り続けることはできたので、そのままスキーに行ってきましたが、
後日修理代が、70万円近くかかる、といわれ、泣く泣くそのクルマ、廃車で手放すことにしました。
痛い思い出です。凍結した路面で素人は、慣れないこと、するもんじゃありません。
雪国に住んでいる人には笑われそうなエピソードですが
若い頃はバカばっかりやってました。
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磐田の銘菓
2026年1月14日|院長ブログ
年末年始、私の実家にも、県外に住む妹夫婦が実家に来て、年末年始の時間を過ごしていきました。
私の母は2年前に亡くなりましたが、まだ死んだ母のことも話題に出ます。
妹夫婦が帰る時には私の母(当時70代)がお土産にこの土地オリジナルの和菓子を渡していたものです。
磐田の和菓子屋と言えば、玉華堂(ぎょくかどう)と又一庵(またいちあん)です。
玉華堂の「みそまんじゅう」はテレビで芸能人が紹介したこともあり有名ですが、「きんつば」を売っている又一庵(またいちあん)というところも有名。

HPより転載
又一(またいち)の「きんつば」はアンがしっかりしていて甘すぎないのが良い。
又一の「きんつば」を渡すとき、母はこう言いました。
「マタキン、持ってきない(持ってきなさい)」
「マタキンだって、やだー」と妹にはウケて笑ってました。
「又一のきんつば」→「マタキン」!
磐田の銘菓がこう呼ばれるとは、母だけの冗談だったかもしれません。
私の母はアッチ系のネタには反応する人で
私が子供の頃、「サザエさん一家」で飼っている猫、オスかなあメスかなあ」という話題が出て、「しぐさがおとなしいからメス猫だろう」「活発だからオスだろう」という家族の中で意見が出る中、私の母は
「オスだよ、きっと」
と即答しました。何故か聞くと
「名前がタマだから」だそうです。
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かつて私が小学生の頃、漢字ドリルで「紅顔の美少年」と答えさせる問題で「コウガン( )の美少年」という問題みて一人でゲラゲラ笑っていました。
子供の頃、おなかがすいた私が「お母さん、なにか食べるものない?」と聞いた時
「共食いだよ」
と言ってバナナを手渡したことがあり、子供の私は何と反応したらいいか唖然(あぜん)としたことがあります。こういうネタを面白がってしまう母のDNAが、もしかしたら私の中に流れているかもしれない。
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あったかいでしょ 静岡は
2026年1月12日|院長ブログ
「しずおかは日本の中でも暖かいほうなんですよ」
寒い時期ですが、とくに寒そうに見えるのは、外国出身の人。
クリニックの診察に来るために、日本人より厳重な厚着で着ぶくれになっている人が多い。
近年ベトナムやフィリピン等東南アジア系の人が、当地でも増加しているのですが、(日本は寒い)と聞かされているはず。
私にとっても寒いのですが、雪で悩まされている日本海や北日本と比べると、ここらへんの寒さはマシな方ではないでしょうか。
さて、この地方、雪が降らないのはいいのですが、この地方特有と言われる「強風」には悩まされます。

洗濯ものが風で飛んでしまう
洗濯ものが飛んで行ってしまう!
私は洗濯物は天日干しを好みます。
自宅に衣類の乾燥機も置いてあるのですが、綿製品は縮んでしまうし、電気代もかかるので、雨天でなければ干すようにしています。
(乾燥機ほど衣類の繊維を傷めないので、衣類が長持ちします)
ただ悩みは、この地方の強風。ちゃんとハンガーにかけて干しておいても、帰ってきたころには、とんでもないところに飛ばされていることがあります。
強風の日は、干した洗濯物の数と、取り込んだ洗濯物の数があっているかカウントしています。
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2025年の思い出
2026年1月7日|院長ブログ
年賀状をまとめています。
「お年玉くじ付き」として売られている年賀はがきですが、あまり当たらないし、当たっても切手とかしょぼいのしか当たりません。
取引の業者とか、自分個人に関係ない年賀はがきは、今までと違って、さっさと処分することにしました。
自分から友人あてに書く年賀状、今回は「今までの中で一番低い山に登った」ことを書きました。
小笠山という山は自宅から近くにありながら、この年まで一度も山頂に登ったことはありませんでした。標高260mそこそこで、山という認識すらありませんでした。

今までの中で一番低い(サイテーの)山でした 264mです
でも登ってみると ガイドブックにも書かれていないような発見があって面白いです。
コウモリが飛び交う、どこに続いているかわからない、謎のトンネル。野鳥のさえずりがこだまするきれいな湖。戦国時代に陣地を取ったという砦。などなど。
幸い静岡県は、名も知られていないような低山が沢山あります。
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1月1日が誕生日
2026年1月7日|院長ブログ
年が明けて1週間。
今年もいろいろ新しいことに出会えるでしょうか。
「1月1日が誕生日の人が、アフガニスタンでは圧倒的に多い」というニュースがありました。
今まで公的な出生記録のなかったアフガニスタンでは、自分の生まれた日がいつなのか知らない人が大勢いました。
しかし、近年アフガンにもインターネット、facebookなどのSNSが普及してきて、最初に自分のアカウントを登録するのに生年月日が必要とされることが多くなったのです。
「誕生日? よくわからないけど 1月1日にしておこう」
ということで勝手に誕生日を1月1日にしてしまう人が多い。
「アフガン人全員が1月1日生まれのような気がする」とインタビューを受けた人は答えていました。
私も2000年代初頭にアフガニスタンに1年住んでいたことがあります。人が生まれて、役所に行って出生届を出すこと自体、結構いい加減なことがわかりました。出生届を出さなくても生活に影響しないのです。
人の年齢とか誕生日、知ってて当たり前のような気が、日本人はするかもしれませんが、アフガン人とつきあってみると誕生日なんて知らなくても全然困らないのです。

アフガニスタンの子供たちと
私がアフガンで現地スタッフの就職面接をした時、生年月日を含めて身分証明になるものを持っていないので、本人申告を信じるしかないのですが、
「私は30歳、助産師の仕事を20年以上やってきました」と何のためらいもなく言うので、こちらも
「あんた10歳の時から助産師の仕事しているのかよ」
と突っ込むのを忘れてしまうほどでした。
現地の人の患者の年齢を聞いても、「私? 年齢? 25歳ということにしといてよ」で済んでしまうので、アンケート結果が本当にアテにならないのです。
自分の年をカウントするなんてどうでもいいことでしょ?
というと日本では信じられないかもしれませんが、間違ってないかもしれない気がします。
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私は90年代にインドネシアの離島で住民の年齢構成を調べる調査をしたことがあります。
住民の年齢、性別が調査の基本になるのです年齢が本当にあてにならないのです。
住民台帳はあるらしいのですが実際はあまり役に立たない。だから年齢は自己申告となります。
私は調査員となって山村の家々を回り、
「あなたは、おいくつですか?」
と尋ねます。バナナの葉っぱで手を拭きながら出てきた、農作業中のオヤジは
「うーん、5,6年くらい前に30歳になったはずだからなあ・・・」
といい加減な答えをするのです。「正確にはおいくつですか」
「そんなのわかんねえよ」
自然に囲まれて暮らしていると、自分の年齢がいくつかなんてどうでもいいのです。
「じゃあ、35歳ということにしときますよ」
「まあ、そこらへんにしといてくれよ」
という具合にアンケート調査が進んでしまうのです。
「まあ、そこらへんかな」
という人が沢山いるせいで本来はきれいな「人口ピラミッド」の図形を描くはずが
30歳、40歳とか節目の所にばかり数が集中してしまい、のこぎりの歯のような人口ピラミッドができあがってしまうのです。どうみても、60歳代にしか見えない老人に「ワシは今年で93歳になるけど元気じゃよ」と言われてみたり、
「私は21歳よ」と言われては見たが、明らかに3人の子供がいて、30過ぎにしか見えないオバサンがいたり、
本当にアテになりませんでした。
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例えて言うなら・・・
2026年1月4日|院長ブログ
新年で親戚が集まったりする機会はありますか?
私の実家にも正月に親戚が集まる機会がありました。4世帯くらい。
大人は酒のんで、子供らはゲームをしたりしているのですが、私だけ、仕事があれば出動という待機状態なので、酒は飲めません。
仕事のことが気になりつつ、酒盛りに参加するのは、あまり気が乗らないので、親戚の前では、私は楽しそうな顔はしていますが、内心ちょっとイヤです。

いろんな業種の人がいるのですが、医療関係はうちだけです。
開業医の診療科によっては、内科、皮膚科、耳鼻科などしっかり休日を取るところもありますが、産科の開業医には休みがない。
会社員の親戚から、産科クリニックの私に「仕事大変でしょ」と聞かれました。
何をやっているのかよくわかっていない人からの質問なので、
「酪農といっしょです」 と、とっさの思いつきで答えておきました。
もちろん人間と牛は違いますが、生きているものが相手なので、大変だけどやりがいは感じる、という意味です。
酪農家も減少が続いていると聞きます。朝早くから牛の面倒を見るのが大変で後継者も育たないと聞きますが、
やっている当事者は牛が好きという思い入れがあるからだと思います。
後で気が付いたのですが「乳がちゃんと出るか」は共通だと思いました。
沢山スタッフがいてくれないと業務ができない。
会社員の人が知ってそうな「理念」と「パーパス」(「クレド」とか「フィロソフィ」とか)の違いが、私 わかってません。
お客さんを大事にすることは知ってますけど。










