院長ブログ
-
万博に行ってきました
2025年6月29日|院長ブログ
6月29日の日曜日はお休みをいただき、大阪万博に行ってきました。
やはり行ってみてよかった。 会場の大きさ、人の多さ、現場の雰囲気とか、行ってびっくりしたこと、いろいろありました。
日帰りで滞在時間短かったので、余裕があれば、2日くらいかけていきたかったところです。
チケット予約の時に、パビリオンの入館予約もできるようになっていて、唯一あたったのが「タイ館」でした。
たまたま当たって訪れたタイ館ですが、タイの健康や医療にかける意気込みは日本よりずっと進んでいることに驚かされました。医療ツーリズムと言って、海外の人に医療を提供することについては、タイの方が日本よりも上手にやっています。
さて、大阪の万博というと、実は、私が5歳だった頃にも開かれました。日本の経済成長にかなりインパクトがあった万博です。
5歳の私にも、万博に行った記憶がかすかに自分に残っています。
一番鮮烈に覚えているのは、自分がオシッコをしたことです。
「おしっこしたい」
と言っていた5歳の私に、自分を連れてきた親は困ってしまいました。
どっかのパビリオンに入って、パフォーマンスを見ている間、暗い観覧席に座っている間に、ビニール袋の中にこっそり排尿させたのです。
トイレ以外のところで排泄してはいけない、ことが自分にもわかっていたと思うのですが、それだけ当時の会場は混んでいたのでしょう。
-
外国で髪を切った話
2025年6月26日|院長ブログ
先日髪を切ってもらい、スッキリしました。
昔海外に出ることが多かった時期、学生の頃から、30代に至るまで、好奇心であちこちの国で髪を切ってもらう、という経験をしました。
アメリカ、オーストラリア、ドイツ、インドネシア、ネパール、ニカラグア、アフガニスタンで髪を切った経験があります。以前ドイツやオーストラリアで髪を切った話をしましたが今回は途上国、値段はボトムの方。
散髪料金はどこまで安いのか! 国際比較です。
インドネシアのジャワ島で行った床屋では日本円にして約200円。
それより安かったのはニカラグアで入った床屋でした。約100円(当時のレート)首都マナグアを歩いてた時、路上で散髪をしている男がいました。ハリケーンの救援活動で、ある医療NGOに参加していた時の話です。
地元のお金で10コルドバ(約100円)だったが、持ち合わせがなかったのでドル札を出して、「1ドルでいい?」って身振りで聞いたら、オッケーだということで交渉成立。
床屋のおっちゃんはハサミ一本しか使わず、道端の軒下でまたたく間に髪を切り終えました。
食肉用のトリの羽をむしりとるような乱暴な刈りかたでした。
夜になって同じ場所を通りかかったら、散髪をしていた男は宝くじを売っていました。
本当に床屋なのか疑わしい人でした。
さて、さらに安かったのはネパールのカトマンドゥです。当時のレートで60円です。
「日本は床屋はいくらするの?」
と現地の知人に聞かれて。
「40ドルくらいかなあ」と答えると
「そりゃすごい。その金額ならここで6年間散髪ができる値段だ」そうです。カトマンドゥの首都の路地奥の散髪屋で顔剃り、マッサージまでしてもらってなんと60円!
この後肩をもまれましたが、このマッサージがまた気持いい。
(ああ、いいわあ)なんて恍惚とした私の表情をみて、この床屋のオヤジがニヤリと笑いました。
「モア・マッサージ?」と英語でオヤジが聞く。
恥ずかしくなった私は「オウ・ノウ」のつもりで、首をちょっとかしげました。なんとそのオヤジはうれしそうに、また肩をもみだしたのです。
ネパールでは首を横にかしげるのが「イエス」の意味でした。
地球上にこれ以上安い床屋はないだろうと思っていたのですが、
アフガニスタンの都市マザリシャリフの床屋でカットしたら、なんと30円でした。
アフガニスタンの床屋では絶対、顔を剃りません。
アフガン男性はヒゲをはやすのが当たり前の社会なのでもみ上げとか、あごひげの部分はそのままにします。
タリバン時代には「男性は握りこぶしの長さ以上に あごヒゲを生やすべし」という奇妙な法律があり、それを守らなかったアフガンの友人は本当に地下室に投獄されていたそうです。
髪を切る、という切り口から世界の文化が見えて、面白い経験でした。
-
空からぼとぼと落ちてくる 果物
2025年6月22日|院長ブログ
先日 雨上がりの日曜日、いつもの畑に行ったら、スモモが熟していて、ぼとぼと地面に落ちているのに気づきました。
木の枝にもたくさん生っていて、ちょっとさわると枝からボトリ。
熟した果実が、前夜の雨で、水分を吸って重くなったのか、触るだけで、簡単にもぎ取れました。
かごを下において、木の枝をちょっと揺らすだけで・・・
落ちてくるわ、落ちてくるわ・・・
スモモが天から降ってきたような勢いで、ボトボト落ちてきました。
空から降ってくる!?
取っている間も上からポトポト、ポトポト・・・
すぐかごに一杯になりましたが、木に生った量の10分の1も取れませんでした。
「スモモ」は英語でプラムPlumと言いますがプラムの乾燥させたものをプルーンPruneと言います。食物繊維を多く含み、鉄分もあるので、便秘や貧血に悩んでいる女性特有のお悩みには最適の食材なのです! ポリフェノールであるクロロゲン酸が豊富で疲労回復効果も期待できます!
ぼとぼと落ちるほどのスモモが取れた理由は、果物が熟した時期と、前夜の雨があったところに、たまたま、ちょうどいいタイミングで自分が通りかかったためですが、
果物が落ちてくるところを予想するなんて、フツーはなかなかできません。
**
さて、私がお産にかかわる仕事をしていて、よくいただく質問の一つに
「いつごろ生まれるんですか?」 があります。
21世紀の今でも、陣痛がやってくるしくみは、わかっていません。。
(黄体ホルモン抑制説 胎児の副腎皮質ホルモン増加説がありますが)内診して、なんとなく陣痛が来そうだな 程度はわかりますが 正確に、何日の何時までは当たりません。
妊婦さんに「いつ産まれますか?」と聞かれて
「そんなこと、わかりません」と言うと 相手をがっかりさせるので
「お産はねえ、果物の実が熟して、木の枝から落ちてくる 時期を当てるようなものなんですよ」と説明しています。
「果物の実が熟して、もうすぐ落ちてきそうなのは見たり触ったりしてわかるけど、何日の何時何分に落ちるかはわからないでしょ?」
そういうと納得していただけます。
-
居酒屋
2025年6月18日|院長ブログ
最近久しぶりに友人と居酒屋に行って話をしてきました。
ガヤガヤした雰囲気で、好きなドリンク飲んで、気の置けない友人と話をするのは楽しい。
雨の日で、傘を持って行ったのですが、帰る時になって、自分の傘がだれかに持っていかれたことに気づきました。
テプラで名前入れてたのにい!
でも、大丈夫。
傘はビニール傘で、忘れ物で誰も使わなかったものを自分のものにして使っていただけです。
ビニール傘って、ビニール越しに、向こうが見えるので、交通安全上、いいですよねえ。
*
私も大学生の頃、居酒屋でアルバイトしていたことがあります。
深夜まで時給650円、和服のユニフォームに着替えて、お客さんのオーダーを取ったり、給仕をしたりしました。
当時まだ世間知らずの私は、居酒屋がどういうところなのかよく知らず、最初はビクビクして仕事していました。
店員はお客様の言う事に従って、ゆめゆめ機嫌をそこねることはあってはならない・・・当時の私は考えていました。
同級生で、クラスの中でかわいい女の子が、たまたま店にやって来た時があったのですが、店のユニフォームを着ていると、なぜか全く普段の調子が出ず
「なっ、何になさいますか」と他人行儀な口ぶりで、なぜか自分を卑下してうつ向いてしまい、彼女には怪訝そうな顔をされ、悔やまれた事例も数多い。
酒を飲んで、普段と変わってリラックスした人の顔を眺めているのも、大学になるまであまり関わったことのない世界で面白かったです。
仕事は忙しい時間帯もありましたが、まかないの食事が食べれて食い盛りの私にはもってこいでした。空いた時間には店のカラオケを使わせてもらったりして楽しかったことも。
ただ、学生当時バイトをしていた場所は茨城県。静岡生まれの私には、地元の人の訛り(なまり)が慣れません。
さらに居酒屋の専門用語まったく知らず。
「おあいそ」という言葉が「会計」と知らなくて恥をかいたりしていました。
「お通し」「むらさき」という用語が何を意味するのか、わかるようになるまでオロオロしっぱなしでした。
ある晩 茨城なまりの強い、酔っ払ったお客さんから、
「兄ちゃん、ベロくれ!」 とオーダーが来ました。
「ベロ・・・でございますか???」
焼肉の作法すらもよく知らなかった私は、
「ベロ」とはミノ、ハツ、タンのように牛の体のある部分をさすのかと思っていました。
「バッキャロ、おめえ、学生だっぺ?」
茨城なまりは、静岡人にはきつく聞こえます。
「ベロだよ、ベーロ」
「???」
店の上司が助け船を出しました。
「ビールのことだよ!」
ベロとは「ビール」のことだったのです。
-
グアム島の日本兵
2025年6月15日|院長ブログ
ウクライナとロシアの戦争はすぐに終わることがなく、イランとイスラエルがミサイル攻撃しあっている、世の中イヤな雰囲気になってきましたね。
私自身、戦争が終わってから20年経って生まれたので、もちろん戦争知らないですが、親の世代では、家族を亡くした人も多いです。
ちなみに私の父は13人も兄弟がいたのですが、男は父とその下の叔父二人以外はみんな戦争で死んでしまった。
「優秀なのはみんな戦争で死んでしまって、カスみたいのが残った」と父は幼少から言われ続け、カス扱いされて育ったそうです。
私はその「カス」の息子なのです。
*
日本で戦争を思い出させてくれる場所としては、広島、長崎、奄美大島に行ったことがあるのですが、遺品を見ていると、戦争をリアルに感じることができます。
海外での戦地では、グアム島を訪れたことがあります。
グアム島で横井庄一の洞穴を訪ねて行ったことがあります。
晩年の横井庄一
横井庄一とは、日本の敗戦後28年してグアム島で発見された元日本兵です。戦争が終わったことを信じず、ひたすらグアム島のジャングルの中に潜んでいた日本兵です。
「恥ずかしながら帰ってまいりました」は当時の日本の流行語になりました。
彼が70年代に日本に戻ってからは、自身のサバイバル経験から耐乏生活評論家として有名になりました。
サバイバルスキルの達人。 少年時代の私には、あこがれの一人でした。
グアム島に行った後、私はレンタカーを借りました。
日本の淡路島くらいの広さしかないグアム島は、クルマで簡単に一周できてしまいます。ダウンタウンを離れると、石灰質のやせた土壌でできた南の島の風景が広がっています。
「グアムの道路はサンゴが混じっているので、ちょっとしたことでパンクしてしまったり、雨の日にはスリップしやすいので気をつけてください。」
とレンタカーの営業の人に言われました。南の島ですが、ジャングルとは違って、背の低い潅木が広がっている、荒原というイメージがふさわしいです。
島の南部にやってきた私は人気のない荒原を10分も走り、グアムで最大と言われるタロフォフォの滝の入り口に着きました。
渓谷を刻む台地の表面には、赤茶けた土が見え隠れしていて作物が育つのに適した土地には見えませんが。渓谷へ降りると状況は一変しました。
水量豊かな沢があり、大きな岩の表面を、水が陽光に輝いて流れ落ちていく。
小川の淵の粘土質の土に足を取られないよう、木の板が張られてあり、
これをたどって歩くこと数分、横井庄一が住んでいたという洞穴にたどり着きました。
あまりに小さい。
竹やぶの根元に掘られたその穴は、地面から2メートルの深さもなく中に入ってみると、大柄な私が這いつくばってやっと通れるくらいの直径1メートルの横穴が掘られていました。
洞穴の壁はジメジメとしていて、10分もいると皮膚病になりそうだったし、洞穴の入り口に1分ほど立っているだけで、私の臭いをかぎつけたのかヤブ蚊の大群が押し寄せてきました。
一人の人間がこんなところで20年以上も過ごしたなんて、どうも信じられませんでした。
人間、完全に一人だけで、生きていけるだろうか?
*
腰を上げるとき「どっこいしょ!」
と声を出すのをオヤジギャクの世界では
「ヨッコイ ショウイチ!」と言います。
-
人の顔に見える?
2025年6月11日|院長ブログ
今期の首相は、立候補前の強気と違って、議会でいろいろとやりこめられて、弱った表情を見せていることが多い気がします。
でも政治って、自分らの暮らしとは、あまり関係もないじゃん・・・
と思いつつ、仕事に出てきて、
いつもの産婦人科のエコーをしていました。
あっと、驚いたのは、そのときです。
ふっくらした頬と、細い目、横から浴びる光加減・・・
超音波検査で水の中に浮かぶ胎児の表情を眺めていると、あの首相の顔に見えてきたではないですか!!
「この顔って、石破さんに、似てるよねえ」
なんて言って、笑いをとったのですが、
見え方によっては宇宙人や心霊写真に見えることもあります。
「ほら、今、目が見えたでしょ、ここんとこ目だから・・・
心霊写真みたいにわかる人はわかるんだけど」
冗談の通じそうな人には、言います。
エコー画像はロールシャッハ・テストみたいに、
結構いろいろに見えてきて楽しいです。
-
野菜生活
2025年6月8日|院長ブログ
最近食品の値段が値上がりし、野菜を作る人も増えたそうです。
野菜作りは楽しいですよ!
私の菜園でも春先に10種類i以上の野菜が育っています。
ブロッコリー、カブ、人参、ジャガイモ・・・と次々と食べごろになっています。
実のところ私、水やりをしっかりやれていないので、苗の段階で枯らすことも多い。苗が虫や雑草に負けてしまうことも多い。
今年こそ成功させたいトウモロコシ
去年は収穫直前のトウモロコシがカメムシに食い荒らされて全滅だったので、今年は厳重に網で囲って、警戒してます。
今日からはナスも取れるようになりました。
畑でとれた野菜で顔を作ってみました
*
さて、私、クリニックでは、患者さんのお悩みを聞くのが仕事ですが、いろいろ考えてみたって、「わからないものはわからない」こともあります。
あるところまで悩んだら、その後は周りの流れにまかせるしかないんじゃないか、と思われる案件あり。
そう、なすがままにするのが良い。
なすがままに・・・
仕事の後、頭を切り替えて趣味に。畑に行って農作物の収穫に精を出しました。
作業しながら、BGMの音楽はビートルズの「Let it be(なすがままに)」でした。
「困った時 マリア様がやってきて、ぼくに言葉をささやく、なすがままに」という歌詞です。
ナスがままに・・・
ナスがママに・・・
ナスがママだったら、パパはキュウリか
・・・そうだ キュウリがパパだ!
オフの時には一人でダジャレを考えています。
-
サバっていう字は魚へんにブルーですか
2025年6月4日|院長ブログ
長嶋さんが亡くなった。野球のレジェンド。
私たちに、いろいろなものを残してくれた。
昔私が総合病院の勤務医だった頃の話。
*
「刃先を立てて、クビのとこから切り込んで」
「椎骨(ついこつ)に沿って切り下ろすんだ」
ある日私が医局にいたら、近くにいた外科の先生が、熱心に後輩に指導していた。
外科の世界は「習うより慣れろ」だが、
長嶋監督のバットの指導のように
「こう、クイッとまわして、シュッとなったらいいんだ」
というような、傍で聞いていてもよくわからないことを言う。
その外科の先生は声を大きくして熱心に説明していた。
「そうそう、ズバっと切り込んで、
バカバカッと開けてきゃいいんだよ」
「だめじゃん!そうすると頭の方に肉が残っちゃう!」
え?(頭に肉が残る?)
「骨に身が残らないように、骨ギリギリのところで切るんだよ」
外科でそんな手術あったっけ?
「脊椎に身が残るともったいないよ、
せっかく苦労して釣ったんだから」
よく話を聞いていると、釣り好きな外科の某医師が
「釣った魚を三枚におろす方法」
を説明しているところだった。
アフガンで手術していた頃の私
-
肥やし
2025年6月1日|院長ブログ
6月ですが、朝晩はすっきりした空気で梅雨を忘れる日でしたね。休日の今日は畑に出て野菜の収穫をしました。
赤かぶ、救出です!
先日は鶏糞を私の畑に撒いてきました。鶏糞は有機肥料で野菜の栄養分をたっぷり含んでいます。
今でこそ野菜に応じた肥料が使われていますが、近世まで人糞が肥料として使われていたのを知っていますか?
人に寄生する回虫は、便に虫卵を出すので、人糞のかかった野菜を食して回虫に感染することが20世紀の半ばくらいまで当たり前に起こっていました。ほとんどの人は症状がないので、それはそれでよかったのですが、衛生環境が改善して、寄生虫が根絶される時代になると、こんどはアトピー性皮膚炎や花粉症などのアレルギー疾患が増えてきたことから、寄生虫の感染はアレルギー疾患を予防していたのではないかという仮説があります(あくまで仮説です)。
寄生虫の中には「サナダ虫」(条虫)といって、(きしめんのように)平べったくて、やたらと長い(腸管に寄生し2~3m以上になるそうです)、サケやマスの魚介類に感染する寄生虫です。人間の腸管に寄生すると無症状なことが多いのですが、たまに肛門からお尻の先端が出てくる。
寄生虫の専門家に聞いたのですが、
「おしりから何か出てきました!」と言って、担当医が条虫を疑って、寄生虫の先生が呼ばれていくと、肛門からキシメンのようなものが出ている。このサナダ虫の頭は腸管の壁に食いついているので、虫の体をちぎらないように、鉛筆のようなものでそおっと巻き取る。
サナダ虫を巻き取る(イメージ)
うまく巻き取れれば、寄生虫が全部出てくるのですが、途中でちぎれてしまうと、残った頭の部分からまた体が伸びていくので、
「ちぎらないようにそおっと巻き取るんです」
と教えてくれました。
-
救急部(ER)に来る患者
2025年5月28日|院長ブログ
病気による急変は、待っていられないので仕方がないのですが、一年のうち、5月と6月は、なるべく救急病院にかからないほうが良い。
救急対応をする慣れない研修医がたくさんいるからです。
研修を始めたばかりで、診断にしろ、投薬にしろ、まだ慣れないので、ミスをする確率が高いのです。もちろん監督をする上級医師はいて、トラブルにならないようになってはいますが、深夜などは、研修医だけが対応することもあります。
***********
私が研修医だったころの話です。
救急患者の診察のときのこと、息が苦しいという中年男性が来た。
「はいっ、じゃあ胸の音を聞きますので背中を向けてください」
と私は丸椅子に座った中年男性の患者に告げ、聴診のため背中を向けさせた。
その瞬間、私はウッと息をのんだ。
背中ぜんたいに、ぱーっと、桜吹雪の刺青が描かれている・・・
「ちょっとくるしいわ、なんとかせえや」
「呼吸が苦しい? じゃ、じゃあ血液中の酸素を測りますから・・・」
パルスオキシメーターという指にはめる器具を取り出した。
「さあ、ちょっと指を貸してもらえますか。」
その瞬間、私はウッと息をのんだ。
指をつめていて、第一関節から先がない!
どうやってつけたらいいんだ!
**************
救急部にやってくる者で、酒飲みもまた困ります。
ある深夜、街の飲み屋で酒によってケンカになりケガをした中年男がやってきた。
自分は慶応大学の法学部出身だ、としきりにクダをまいていた。 (慶応出身の人には悪いが本当の話である)
「てめえ、どこの大学出身だあ?」
最初に応対した女性の研修医は地方国立大の出身であった。
悪い事に彼女も短気でケンカっ早かった。
「**大学よ、文句あるの?」
「なんだあ、**大学かあ、慶応のやつはいないのかあ」
「なんだとはなによ」
「**大学のくせに俺を診ようってのかあ、なんだとおこのアマ!」
売り言葉に買い言葉で、ケンカ状態になってきた。
横で別の患者を診察していた私は、仲裁に入った。
「おにいさん、ちょっと病院だから・・・」
私は(おとなしくしてくれよ)と言うつもりで、 背後から酔っ払いに近づいて、彼の両腕の自由が効かないようにガシッと ハガイじめにした・・・が
彼はするりと私の腕を抜けると、診察室の入り口に向かって走り出し
「キエーッ」と叫びながら、診察室のガラス戸にケリを入れた。
バリバリバリ!
ものすごい音を立てて、ガラス戸にヒビが入った。
騒ぎに気がついた事務の人がすぐに警察に電話してくれて 数分のうちにその酔っ払いは警官に御用となった。
救急部(ER)の仕事は危険度が高い。
私が研修医時代、 救急部から産婦人科に配属が変わって、ホっとしたことがあります。
産婦人科には、人を脅すヤーさんや、ぐでんぐでんの酔っ払いがいないのです。
ヤクザと酒飲みがいないだけ、産婦人科は幸せです。