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院長ブログ

  • 特別な震災記念日

    阪神大震災から30年。

    私にとっては今回特別な日です。私は今年60歳になりますが、震災の時私は30歳で、今までの人生のちょうど真ん中で震災を経験したことになります。

    私は医学部卒業して、2年の研修期間が終わって、救急処置もばっちり身について、医者として「なんでもかかってこい!」のやる気満々の状態だったので、

    被災地を医療ボランティアとしてテンション上がりまくりで、張り切って活動していました。有形財産とか、失って困るものはありませんでした。

    トリアージ」(死にそうな重症の患者を救うのをあきらめて、助かる命を救うために診療の優先順位をつけること)「クラッシュシンドローム」(圧迫によって災害から時間が経ってから腎臓の機能低下をおこすこと)「災害ボランティア」など、この震災がきっかけで生まれたコトバも多いです。

    被災地に立つ私 1995年1月

    地震の後、電気や水道・ガスのライフラインが止まってしまい、不便な生活を強いられました。

    雪は降りませんでしたが、部屋の中にいても温める電気やガスがないと寒いものです。夜は真っ暗。

    とくに水は困りました。

    都会では、排泄するにも水が要る(野グソはできない)ので、ウンチができなくて、困ってしまうのです。

    電気がなければ医療機器を動かすこともできません。仕事にならない。

    地震の後しばらくお風呂に入れてもらったり水をもらいに行きました。

    自衛隊が設営したテントの風呂もありがたかったです。

    神戸の冬は気温は寒かったですが、人の心の温かさを感じました。

     

     

    当時私は研修医で、神戸市内のある大病院の敷地内の官舎に住んでいました。

    宿舎は研修医のために作られたもので、たしか研修医全員一人で住んでいた・・・ はずでした。

    明け方の大きな揺れの後、みんなそれぞれ寝起きのまま、部屋から飛び出してきました。

    私の近くに住む、耳鼻科の先生の部屋からは、

    若い女の子が先生と一緒に部屋から飛び出してきた!

     

    見ると手術室のナースだった!

     

    まじめな、耳鼻科の先生だったのに!

  • 冬に外来が混む理由

    寒くなりましたね。

    婦人科のクリニックって、冬は混むって知ってました?

    うちのクリニック、おかげさまで、外来に診察を受けに来る患者さんは毎日多いです。

    患者さんのお悩みに、時間をとって真剣に対応し、なおかつ、患者さんをお待たせしないで診察するのは、矛盾していて、結構なスキルを要します。

    (なるべくムダな時間を減らしたい)と考えて診察をしていますが、その中でもコントロールが難しい部分があります。

    一つは「患者が着替えている時間

    婦人科の診察というと、生殖器の部分を診察するので、服を脱いで、診察を受けて、診察が終わったらまた着る、ことをしなければなりません。

    寒い時期には、着ているものが多いので、服装の少ない夏と比べると時間がかかります。

    あとは患者の年齢。

    年を取ると、着替えに時間がかかる。あくまで私の印象ですが、20代の人が着替えに30秒かけているとすると、60代の人だと50秒くらい、80代の人では90秒(3倍)以上かかります。

    年を取ると、重ね着をしている人も多い、ズボンにストッキング、レッグウォーマー、靴下重ねて2枚・・・ 足腰の筋力が落ちているので、片足立ちが難しい人も多い。

    「患者さん」なので、時間のかかる着替えに文句を言う事もできません。

    自分だって、あと10年、20年して年寄りと呼ばれるような年になったら、病院へ行ったときに、モタモタして職員をイライラさせているかもしれないし、年齢からくる能力の低下をばかにしてはいけないと思っています。

    ある80代のおばあちゃんの診察の時は、内診終わって、私が30mくらい離れた院長室に戻って、資料を取って、コーヒー飲んで、また診察室に戻ってきたら、まだカーテンの向こうで着替えをしていたことがありました。

    自分の経験を振り返ってみたら、そういえば、私も幼少期に、親をイライラさせていたことを思い出しました。たぶん小学生の1年か2年くらいの頃と思います。

    「またトイレにこもって出てこないんだね!」

    小さいころの私は、悪さをして親に怒られると、トイレにこもって、トイレの中でシクシク泣いていることが多かったです。

     

     

     

     

     

     

     

  • 成人式

    大人になりたくない」という理由で、私は成人式に出席しませんでした。

    大人になりたくなくても、時間が経てば、勝手に大人とされてしまう・・・ことに気が付いたのは10年以上経ってからでした。

    成人式には出ておけばよかった。

    成人することに抵抗を覚えて、悶々とした日々が、私にはあったのですが、つまんねえ事で悩んでいたなあ。

    そういうわけで、大人社会へ入れられることに戸惑いを感じる10代の人たちには、共感を覚えます。

    最近、10代後半で妊娠してクリニックを訪れる人が増えました。

    昔の日本人は15歳を過ぎれば妊娠・結婚・出産していたし、生物学的にも成人と変わりません。周りの環境(これから進学したい、とか親御さんのサポートの有無とか)を別にすれば、とくに妊娠を禁じる理由はない。むしろ、少子化の現在、10代から安心して出産・子育てができる社会に変わらなければ。

    若い人の出産はスムーズに進むことが多く、「安産おめでとう!」と言ってあげられることが多いです。

    でも、ちょっとためらうのが、出産した人のパートナーの年齢が近い場合。

    お父さんおめでとう!」と言ったものの、相手の顔をみると、どうみても中学生とか高校生。

    お父さんと呼ぶにしてはあまりに若すぎる!

     

     

     

     

     

  • スズキさん ありがとう

    この世から軽トラックがなくなったら・・・想像もできないくらい、日常の生活で軽トラックのお世話になっています。

    実は去年ダイハツからスズキの軽トラックに買い替えました。

    先月、自動車会社スズキの社長だった鈴木修氏が亡くなりました。私の住んでいる静岡県の西部はホンダの創始者本田宗一郎の出身地があったり、トヨタの先祖の生まれたところだったり、ヤマハの創業地だったりと、モノづくりの盛んな土地柄で、スズキもその一つです。この土地の人の起業家精神を「やらまいか精神」と表現しますが、私もクリニック開業のときは

    (ちょっとやらまいか)

    と思って開業したので、スズキの社長さんにも気持ちが通じるところがあった気がします。

    「乾いたぞうきんを絞るような努力をしろ」とか、 「白黒のコピーで済むならカラーコピーは禁止」とか日常の業務でも、この社長のお言葉を思い出すことも多かったです。

    カスタマイズしたくなってスズキのロゴを貼ってみました

     

    ここら辺に住んでいる人ならわかると思いますが、「スズキさん」という姓ってやたらと多いですよね。

    女性の名前を呼ぶ時、鈴木さんの場合は「ヒロミさん」、「アイさん」、「ミサキさん」とか下の名前で呼ぶことが多くなるのは仕方ないのですが、開業してしばらく経ってくると複数の「スズキ〇〇さん」がカルテの名前で出てくるので、どのスズキさんだったか思い出すのが困難になってきます。

    その一方で、「与那城さん」(テキトーに掲載しましたが日本に2100人しかいないそうです)とか「森久保」(日本に2100人)というような名前だと、どういう人かしっかり記憶に残ります。

     

     

     

  • 歩くパワースポット

    あけましておめでとうございます。

    新年の決心とか抱負とか、ありますか?

    私は、新年になったからといって、新しい目標を決めることはとくにしない、のですが、きらっと胸に刺さる言葉に出会いました。

    あっという間に人は死ぬから」(佐藤舞 著)

    簡単にいうと自己啓発書の一種です。YouTubeでたまたま(この人面白い)と思ったので、本を買ってみました。

    本人自身が、フツーの人から40万人のフォロワーがいるYouTuber件コンサルタントになるという、劇的な体験をしています。その中で得られた体験や気づきを言語化して、本にまとめたものです。

    人生に対して、つらさを感じるのは、どういう時か、焦っていると感じるのはどうしてか、冷静な気持ちで分析し、それに向き合うことで、乗り越える力が生まれる。

    簡単にいうと、そういうことです。認知行動療法とかACTとか、一般にはなじみがないので、万人向けではないですが、自分の苦しさにもがいていて、そこから抜け出したいと必死で考えている人には良い本だと思います。

    昔からPDCAとか目標を決めて、評価するとかありますが、(言い方を変えて、いろいろありますが)、著者の価値観の設定で目を引いたのが

    歩くパワースポットになり、他者に本質的な気づきと影響を与える

    です。そうか、著名人て、自分が何もしていないのに、ファンが勝手に自己変容していくってケース、ありますもんねえ。

    パワースポットって、歩くんすか。

    ちなみに、私、「あっという間に」今年60歳になります。

     

  • インフルエンザと古シャツ

    インフルエンザワクチンの予防接種のシーズンです。

    今年は「ウイルス」「ワクチン」に敏感な人が多いのか、お問い合わせが多いです。

    妊婦さんもぜひ打ちましょう。昔は「妊婦はうたない方がいい」という考え方でしたが、最近は「妊婦もうったほうがいい」となっています。

    「インフルエンザワクチン」という名称が長ったらしいので、業界では「インフル」とか「フルワク」と呼んだりします。

    昔アメリカにいるときに

    おまえ古シャツ持っているか

    と聞かれて、最初何のことかわからなかったのですが

    インフルエンザのワクチンを打ちましたか」という意味と後でわかりました。

    米語圏では「インフルエンザワクチン」のことを「Flu shot (フルー・ショット)」と言います。

    Flu shotが「古シャツ」に聞こえたのです。

    シャツにまつわる笑い話ですが、1970年代、日本人がアメリカに入国するときに検疫でこう聞かれたそうです

    おまえカラーシャツ持っているか?

    サラリーマンのその人は、背広とワイシャツだけで、色のついたシャツはなく、変なことを聞かれたとおもったのですが、

    「コレラのワクチンを打ちましたか」という意味だったそうです。

    コレラ(Cholera)ワクチンをCholera shot(コレラ ショット)と呼び、「カラーシャツ」と聞き間違えたとか。

     

  • スクワット・・・仕事で 自宅で

    最近私の見る動画でハマっているのが筋トレ

    筋トレしていると前向きな気持ちになります。

    自宅でスクワット。ジョギングと腕立て伏せはルーティン。回数は?恥ずかしくて言えません。

    コロナのご時世、ジムに通わなくても、自宅でできる自重筋トレが流行ってます。

    ウンコ座り、相撲のシコ、ヤンキー座りに共通する人間の基本動作の一つです

    とにかく体を鍛えたい、だけど何からやったらいいの?という方にはまず「スクワット」をお勧めします。腸腰筋や大腿四頭筋など、生活を維持していくための重要な起立筋の筋力維持になります。

    量については、人それぞれでいいと思いますが、大事なのは継続できること。一度に負荷をかけすぎてイヤになっては元も子もありません。

    自宅から勤務先まで、あえて歩く、とか、職場の診察室でも、患者の呼び入れを付き添いのスタッフに頼まないで、自分で椅子から立ち上がって呼ぶとか、仕事の中にも体を動かす要素を入れて、筋力維持に努めています、

    私は産婦人科医として、膣の中を見る内診という診察を日々していますが、実はあれ、医者にとっても負担が大きいのです。カーテンの向こうでやっていることなのでご存じないかもしれませんが。

    膣鏡というもので、子宮の入り口を観察する。膣の大きさも人によってさまざま。痛くないように、そおっと入れる。片手で膣鏡を持っている間、中腰。膣鏡を持つ手は絶対にぶれてはいけない。最小限の時間で済ませる。

    その姿勢で、体をねじって、背後から、スタッフの差し出しているピンセットやら、細胞採取器具を受け取る。やってみたらわかりますが、けっこうキツいです。

    子宮内膜細胞診で器具がうまく入らなかったりすると結構きついんですけど、このキツさ、誰もわかってくれません。

    つま先立ちしてかかとにお尻をおろす「蹲踞」の姿勢もとりますが私は身長が高いので体を曲げる角度が大きい。

    他の先生はたぶん、膝をついて状態を支えるとか、椅子を出してもらって座るとかしているかもしれません。

    大事なのは、患者さんにとって負担を感じない診察ですが、もっと私が年とったら、こういう中腰の診察は難しくなるかもしれません。

     

     

     

  • 市会議員になりたい人

    先日 友人の知り合いで、磐田市の市会議員になろうと目指している方と会う機会がありました。

    エネルギッシュな人で、ニコニコしていて活発によくしゃべる人でした。 居酒屋で3時間くらい話をしました。

    50歳手前の年齢で、それまでいろんな仕事で経験を積んできましたが、数年前に末期のガンになり、そこから回復という壮絶な人生を歩んできた方です。

    学歴に頼らずに、努力で人生を切り開いてきた人って、話をしている時に、相手の目を見ます。話の合間に、じっとこちらの目を見ます。

    (本当に聞いてるよな)と自分の網膜を見ているような感覚になります。

    どうやったらこの街がよくなるかについて、熱い思いを語っていました。

    私も、この世の中が住みやすくなるために、なにか働きかけができればいいな、と少しは考えながら生活していますが、政治の世界は大変かもしれない。

    いろいろな考え方の人がいて、利害を調整しなければなりません。そういうことを面倒と考えるか、やりがいと考えるかの違いでしょう。

    仮に私がこの街の市政にかかわることができたとしたら、カフェとかこども食堂とか、みんなが集まりやすい場所を作ったり、インバウンド目当てに、観光スポットを市内にあちこち作ってみたいです。

    私が、人生で初めて政治らしいものにかかわった記憶といえば、高校の生徒会です。

    私の高校はこの地方では進学校で、生徒会なんて、誰もやりたがらないので、簡単に入れます。

    お昼に生徒会室に集まってみんなでお弁当を食べるのが習慣でしたが、他にあまり大したことはしませんでした。

    今の仕事で開業したときに、生徒会での経験が生かされた気がしました。いろいろな意見のある人をまとめるのは大変です。

    面倒くさいと思っていても、実は後になって、やっておいてよかった、と思えたのが、この生徒会でした。

    議員になって市政にかかわるのも面倒なように思えて、実はやりがいがあるかもしれない。

    ちなみに、私は生徒会をしたことがあるにもかかわらず、制服の服装が乱れていたり、ヘルメット着用義務のある自転車通学でヘルメットかぶらなかったりして、風紀委員の先生には目をつけられていました。

     

     

     

  • 風呂が気持ちいい季節

    寒くなってきましたね。

    暑い時期はシャワーで済ます私ですが、寒い時期は浴槽にお湯をはって入浴します

    あたたかい湯につかるのは気持ちいいですね。縮んでいた手足の末梢の血管が広がる感覚がわかります。

    血流がよくなって深部体温が下がるので入眠しやすくなり、寝つきも良い。

     

    お産をあつかうこの業界でも、浴槽に入ってのお産が話題となった時期がありました。水中出産といいます。

    赤ちゃんはもともと水の中で暮らしていたので、産まれてからも水中のほうがリラックスできるのではないか、と考え方で一時流行したことがあります。

    私も水中出産した経験者に話を聞きにいったことがあります。自宅の風呂でお産をしたそうです。

    妊娠中は助産院に通院していて自宅で助産師の介助のもと出産する予定でしたが、陣痛が来て自宅の浴室で産まれてしまった、とのことです。

    お産のスタイルのひとつとして、興味はあります、安全かどうかは? 私もわかりません。

    10年ちょっと前までは、産まれた赤ちゃんを「産湯につける」行為は当たり前のこととされていました。昔の映画では、奥さんが産気付くと「早く湯を沸かせ!」というセリフが当たり前でした。

    新生児の急激な体温変化を避けるため、「産湯(うぶゆ)」を行う産科はもうどこにもありません。乾いたタオルで軽く拭くのが正しいとされています。親の世代と今では「標準」とされることも違っているので、お母さん方も口を出していいのかどうか迷うと思います。

    さて、生まれて間もない子供は羊水の中にいたときのことを覚えているといいます。こういう話はネットでよく出ていますが、本当でしょうか。

    子供が育って言葉を使い出す頃に、一回だけ、自分の生まれた時の記憶を話す、といいます。

    一回しか話さないそうです。

     

    さて私事ですが、10代の頃、自分は、お風呂でおぼれる夢をよく見ました。

    きまって試験の前に見る夢でした。

    溺れてしまう風景がありありと思い出されるのですが、そういう場合には試験の結果は良いのでした。

  • アフガニスタンの中村医師が亡くなって5年

    中村哲という日本人医師がアフガニスタンで亡くなってから5年の追悼行事が報道されていました。

    wilkipediaより転載

    私は彼に影響を受け、2002年アフタガニスタンに入り、NGOで医療援助活動を行い1年を過ごしました。アフガンでの1年は、その後の私の人生を大きく変えました。

     

    ありきたりな言い方で申し訳ないですが、日本に暮らしていると、電気や水や教育の機会が、当たり前すぎて、ありがたみを感じないのですが、アフガンと日本で暮らしてみると、そういう当たり前の一つ一つのことが価値があることがわかります。日本で生活していて、「自分は不幸だ」と感じる人は多いのですが

    「自分が幸せであることに気づけないことが不幸」

    とアフガンの生活を思い返してしみじみ思います。

     

    アフガンの診療所で、私と仲間たち(2002年)

    中村医師が銃撃された、と報道された映像は当時私が仕事していたアフガンの風景とほとんど変わっていませんでした。乾燥した国土は地球温暖化の影響もあってますます水不足になります。

    インフラ、教育支援など外国からの援助も入りますが、まさに砂漠に水をまくようです。何年たっても実を結んでいるように見えません。タリバン政権が国を支配するようになってからは、女性の就業の機会をさらに奪っています。めぼしい産業といえば、麻薬の栽培。

    ここ数十年、世界から「失敗国家」と揶揄され、「見捨てられた」地域のアフガニスタン。こんな絶望的な土地で、もくもくと働いていた中村医師。

    人はなぜ生きるのか。

    彼の生き方を一生懸命考えることが、彼への弔意です。

     

     

     

     

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