院長ブログ
京都に行ってきました
2022年6月1日|院長ブログ
コロナ感染者も減少してきて、気分転換に京都に行ってきました。
嵐山とその近辺を歩いたのですが、予想していたより修学旅行の学生など多く見かけました。
外国人はまだ入っていないので、静かで歩きやすかったです。
イナカ者の私から見ると、京都って、人が住んでいるところは建物も人もぎゅっと密になっていて、自然の多い山に囲まれています。
たとえば、静岡県西部の人が一枚のシーツの上に住んでいるところを想像してください。
大きな一枚のシーツを東西南北の端から上に持ち上げていくと、一番下になったところに、人と建物が集まってしまい、シーツを再び広げて東西と北の山々に端っこをひっかけたような印象です。
京都は歴史の街ですが、吉田兼好(よしだけんこう)の徒然草にこんな話がありました。
仁和寺のお坊さんが酔って、人を笑わそうと、頭がやっと入るくらいの釜をかぶって踊ったところ、大ウケだった、という話を思い出しました。
釜を外そうとしたときに外れなくなって、いろいろしているうちに首に傷がついて血が出てきて腫れあがり、叩き割ろうとしたが、ガンガン響いて叩き割ることもできず、困ってしまって、釜を頭にかぶったまま医者のところに連れていかれた(53段)という話がありました。
私はお産を扱う仕事で、時々難産を診ることもありますが、中には「肩甲難産(けんこうなんざん)」というものがあります。巨大児に合併することが多い。頭は出てきたが、肩が骨盤にひっかかってしまって、放っておくといつまでも赤ちゃんが産まれない状態です。医者が、膣の中に手を入れて、赤ちゃんの肩のひっかかっている方を外すか回転させて、赤ちゃんを出す特殊なテクニックというものがあります。
赤ちゃんの肩がひっかかって生まれないというのは、お母さんにとっても赤ちゃんにとっても苦しい状態なのですが、釜が頭にはまって抜けなくなったお坊さんもこのような心境ではないかと、産科医の私は思いながら、京都の竹やぶの小路を歩いたのでした。
吉田兼好(けんこう)と聞くと、肩甲(けんこう)難産を思い出します。