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院長ブログ

酒を飲まない人が増えた

以前は夏と言えばビール、でしたが、最近、飲酒をする人の数が減っているそうです。

ソバーキュリアス(sober-curious)と言って、酒は飲めるが「あえて飲まない」または「少ししか飲まない」という選択を紹介した本が人気になったことから2019年頃から広まっているそうです。Z世代を中心に広がっているらしい。

ノンアルコールドリンクもここ10年くらいの間にレパートリーも増えており、健康志向も相まって、集まりを開いても「酒はのまない」ことに違和感がなくなった気がします。

以前は「とりあえず集まろう」=「とりあえずビールでも」という図式が成り立っていて、友人が宴会で集まったら「まずビール」が当たり前でした。「ビール飲まない」というと、「ええっ?飲まないのお」と暗黙のプレッシャーをかけてくる風潮がありました。

いつの間にか「私はウーロン茶で」「私はノンアルコールビールで」というのが違和感のない集会になってます。私も年齢が上がって、体質が変わったこともあって、アルコールなしは全然問題ありません。仕事の関係で、いつでもクルマの運転ができる状態でないといけないため、アルコールを口にすることがなくなりました。

さらに酒を飲むとその後の眠りが浅くなるので、夜中に目を覚ましてしまう事が増え、酒離れに拍車をかけています。少量のアルコールでも長期的には脳の萎縮に影響するという論文も最近出てきました。

 

しかし私、昔は大酒飲みでした。

お酒を飲むと楽しい気分になって、いくつも失敗をやらかしました。

私のアルコール初体験は中学3年生。

内申書等で高校進学にめどがつくと、「楽しい友人」たちと遊ぶようになって、お酒とマージャンを覚えました。

焼酎などの安い酒にコカ・コーラを混ぜた「コーク・ハイ」。飲むとぶっとぶように酔いが回ります。

お酒で失敗したこと、数えればキリがありません。

高校生の頃、部活の友達の家で酒をのみ、記憶がなくなるまで飲んだことがありました。

意識を失ってドブ(排水路)に倒れていたところを探しに来た母親が発見したそうで、酒を飲み始めたところからぷっつり記憶が途絶えてました。

次に覚えているのは、親に怒られて帰るところ。

その後3日間 親はしばらく口をきいてくれませんでした。

社会人になって私が研修医の頃は、繁華街に近い病院にいたので、急性アルコール中毒の患者を沢山診察しました。

普通は沢山点滴して放っておけば自然になおっていくのですが、患者を救急室に連れてきた同僚が、みんな酔っ払っていて、深夜の救急病院の待合室がパーティールームみたいになっていたこともあります。

問診で「転んだ」というと、転んで頭を打って脳出血で意識障害を起こしているかもしれないので、誤診しないために、酔っ払いをCT室まで連れていていって、ベッドに縛り付けて、CTを撮らなければなりません。

これも研修医には一苦労でした。他に重症の患者が沢山にいるのに、のんきに酔っぱらって、周りの医療従事者に迷惑をかけているのです。救急患者のストレッチャーの上でぐにゃぐにゃ動いてげろ吐いたりして、やっかいな存在でした。

日本は酒を飲むのが当たり前の文化だと気が付いたのは、私がイスラム教の国で暮らした経験からです

医療援助のNGOに参加して、イスラム教のアフガニスタンで1年暮らす経験をしました。

イスラム教というと、酒をのんではいけない社会です。地元の人たちは集まったときにどうしているのか、というと、お茶とおつまみで話に盛り上がるのです。

この時、酒という手段がなくても、パーティーは成立するのだ、と酒飲み文化からやってきた私は深く感慨を覚えました。

 

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