院長ブログ
寒さの記憶
2022年1月12日|院長ブログ
寒いですね。体が縮こまりそうです。
コロナ対策で、窓を開けて換気しているので、冷たい風がヒューヒュー入ってきます。気温が低いと、ちょっと窓開けただけでヒューヒュー勢いよく空気が入ってくるのが感じられます。
ちょっと暖かいと、寒い空気は入ってこないかわりに、感染予防に換気がされているのか不安にもなります。
おなか出したり、下半身出して診察を受ける妊婦や患者の方には大変申し訳ないです。
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寒いといえば、今まで私が生きてきた中で「厳しい寒さ」と感じたのは
アフガニスタンの冬、高校時代の雪山登山、27年前の神戸の震災の後の冬です。
アフガンには1年間住んでましたが、夏は40度以上になる一方、その年の12月にマイナス11度を記録しました。
寒波の後、水道管は凍ってしまい、水が出ず料理、洗濯、トイレの水を流す水が確保できなくなりました。
電気は停電で止まっていて明かりや暖房も使えない。朝や夜はろうそくの明かりを便りにし、
部屋の中でも寒いので、セーターを着て寝ないと眠れず、寒すぎて布団から顔を出して眠ることすらできません。
屋外では不凍液を入れていなかった車のエンジンが壊れ、水道管はあちこちで破裂してしまいました。
アフガニスタンの現地人は着るものが十分ないので 数十人単位で人が死んだはずですが
ニュースにすらなりませんでした(新聞等メディアが発達してないので)。
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高校生の頃には山岳部に所属していて、信州の雪山に登りに行くことが何回かありました。標高2500メートルの雪上にテントを張り、ピッケルと使った滑落停止とかアイゼンの使い方とか、練習に行った時でした。外はマイナス18度。
登山覚えたての高校生なので、汗で濡れた体が冷えて、テントの設営地について休んでいたら、眠くなってきて、気温はマイナス18度で、幸い他の部員もいて、助かったのですが、あのまま眠っていたら、もうこの世にはいないところでした。
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1995年1月の阪神大震災では、私は神戸の真中に住んでいたのですが地震の後、電気や水道・ガスのライフラインが止まってしまい、不便な生活を強いられました。
雪は降りませんでしたが、部屋の中にいても温める電気やガスがないと寒いものです。夜は真っ暗。
とくに水は困りました。
都会では、排泄するにも水が要る(野グソはできない)ので、ウンチができなくて、困ってしまうのです。
電気がなければ医療機器を動かすこともできません。仕事にならない。
地震の後しばらくお風呂に入れてもらったり水をもらいに行きました。
自衛隊が設営したテントの風呂もありがたかったです。
神戸の冬は気温は寒かったですが、人の心の温かさを感じました。