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院長ブログ

アフガニスタンの今と昔

テレビでみるアフガンの風景は私がいた19年前とあまり変わっていませんでした。

タリバン政権が崩落した20年前、援助と称して各国からNGO,NPOがこの国に入りました。私もアフガニスタンの一地方都市に入り医療援助活動を行っていました。

大半が砂漠で、これといった産業もない国で、政府はほとんど機能しておらず、電気や道路などインフラはガタガタの国。「失敗国家」と揶揄されるゆえんです。

ちょっとお金のある人は周辺のイランやドバイに引っ越してしまいます。

旧ソ連軍の戦車の上で 2002年4月

現地の治安を私なりに表現すれば「日本の戦国時代」みたいなところでした。国内にいくつか軍事力をもった大名というか「ヤクザのシマ」があり、住民はその中で上納金を収めるかわりに身の安全を守ってもらう、という社会です。普段は平和ですが、大名どうしの力関係が変化するときには「シマ」の取り合いでドンパチが発生します。国としての徴税のしくみもちゃんとしてないので、国の政府としての機能はほとんどない。

クリニックの開所式

そういう「戦国時代」みたいな場所で、私は医療活動として、「お産のできるクリニック」を作る手伝いをしていたのですが、私たちの作ったクリニックが「アフガニスタンで15番目に帝王切開ができる医療施設」になりました。「15番目」とはビミョーですが、私の中では今でも誇りに思っています。

クリニック

20年前に逆戻りしてしまったアフガニスタンですが、「国際援助」とは「自己満足」だと、早々に見切りをつけ、その後日本でフツーの臨床の医者になった私でした。

昨年殺されてしまいましたが、アフガニスタンの村に井戸を作って水を引き、農業で人を幸せにしようとした、ペシャワール会の中村哲医師の偉大さには足元にも及びません。

ただ日本では絶対できない経験をして、水や電気や治安などのインフラが当たり前に存在する、日本に住めることのありがたさをしみじみと実感することができました、

さて、過激派だけを見ているとイスラム教は「怪しい」宗教とされてしまうのですが、

アフガンにて 2002年

アフガンにて 2002年4月

イスラム教だから危ないとか怪しい、というわけではありません。

 

イスラム教の特徴としては、日本と比べると

*豚肉は食べない

*酒は飲まない

*断食がある

*1日の決まった時間にメッカに向けてお祈りをする

*金曜日が休息日でお休み

*一夫多妻制

などです。(私が見聞きした範囲で)

 

アフガンで「私はビールが好きだ」と言ったら、「そういうことを表で言っていると捕まるから、黙っていなさい」と現地の人に言われました。

イスラム社会の宴会で、「とりあえずビール」はありえない。

とりあえず「チャイ」です。

日本人の予想に反して、お茶だけで結構盛り上がっている(女子会みたいに)

服装については、イスラムの戒律厳しいアフガンになると、女性は外出するときは全身すっぽり布で覆って、目だけしか出しません。

男性についてはアフガンではヒゲをはやしていないとちゃんとした成人男性とみなされません。

タリバンの時代にはヒゲがないという理由で投獄されていました。

 

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