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院長ブログ

地震の後の生活

トルコの大地震の報道を見ていると、電気もガスもないところで寒さに震えている人を見て心動かされます。

もう30年近く前になりますが、私も大地震に遭って、その後、電気や水、ガスなどインフラのない生活を強いられたことがあります。

当時神戸に住んでいた私は、被災地の真ん中、ポートアイランドに住んでいました。他人の家に風呂を入れてもらいに行く、「もらい風呂」の体験をしたのもこの時です。飲水は翌日くらいから給水車が来たので、困らなかったのですが、風呂はなかなか入れず、洗濯もできず、だんだんとホコリが付いて、アンデスやネパールに出てくる少年みたいに、垢だか日焼けだかわからないような顔になってました。震災から一か月は水道から水が出ない生活が続き、風呂も当然入れず。震災の影響が少ない、神戸市北区の知り合いの知り合い(まったく知らない)人の家に風呂に入れてもらいに行きました。季節は1月だったので、体も温まりました、思いやりに心の温まる思いでした。

自宅近くでは一週間後くらいして、自衛隊が近くの小学校に来てくれて、浴場を設営してくれたので、偶数日奇数日とわけて、男湯女湯にして入っていました。。

 

1995年1月 廃墟に立つ私

1995年1月 廃墟に立つ私

がれきの中でオフロードバイクが大活躍しました。

都市で災害が起こると、交通が寸断されます。がれきを取り除く重機も入ることができず、救援活動が遅れます。

私は悪路も走れるオフロードバイクに乗っていたので、がれきで通行止めになった場所でも乗り越えて、遠方に行くことができました。

震災から2週間後、普段アルバイトに行っていた病院にバイクで行くと、そこの院長から

「君は震災の後来てくれた最初の人だよ」と感心されました。

救護所に移動するのも、バイクが速い。

災害でテンションが上がる人がいます。

救急の先生とか一部の外科の先生は、震災から2日くらいは、人間とは思えないくらいハイテンションで働き続けていましたが、3日めからはぱたりと話を聞かなくなりました。おそらく疲れが出たものと思います。活動が長期化してくると、テンションを維持するのが難しいことがわかりました。

私は電気も水もガスもない病院では、何もできないので、市内の各地にある避難所に行って、応急処置などをしていました。震災当日は、麻酔薬等もなくなってしまい、麻酔なしで傷を縫っていた、話を聞きました。

災害に備えていても、災害は常に「想定外」でやってきます。

大事なことは、ああすればよかった、とか過去の事を悔やんでいるよりは、今できることに神経を集中してひたすら前向きに生きることだ、と思いました。

 

 

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