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院長ブログ

震災から20年

阪神大震災からちょうど20年。

がれきの中で 1995

がれきの中で 1995

 

当時神戸に住んでいた私は、被災地の真ん中におりました。

テレビでは悲しいことばっかり出ていて、悲しいことは聞きたくないという人もいるでしょう。

なので、悲しい話以外のことを思い出して書きます。

 

 

1)もらい風呂の体験

人の家に風呂に入れてもらいにいったこと、ありますか?

震災から一か月は水が出ない生活が続き、風呂も当然入れず。知り合いの知り合い(まったく知らない)人の家に風呂に入れてもらいにいったことがあります。 自衛隊が近くの小学校におおきなテントを張って浴場を設営してくれたので、偶数日奇数日とわけて、男湯女湯にして入りました。

飲み水は翌日くらいから給水車が来たので、困らなかったのですが、風呂はなかなか入れず、洗濯もできず、アンデスやネパールに出てくる少年みたいに、垢だか日焼けだかわからないような顔になってました。

2)オフロードバイクが大活躍

私は悪路も走れるオフロードバイクに乗っていたので、がれきで通行止めになった場所でも乗り越えて、遠方に行くことができました。 震災から2週間後、普段アルバイトに行っていた病院にバイクで行くと、そこの院長から

「君は震災の後来てくれた最初の人だよ」と感心されました。

救護所に移動するのも、バイクが速い。ときにはタクシー代わりに。 バイクの狭いリヤシートに同じ病院の先生を乗せると、必然的に体が密着します。ある日美人の先輩の女医を乗せた時、交差点で停止すると、自分の背中に彼女の胸がぎゅーっと来た。

「大丈夫ですから」といいながら、神経が自分の背中のあたりにいってました。

3)仕事はヒマだった

電気も水もガスもない病院では、何もできないので、市内の各地にある避難所に行って、応急処置などをしていました。

震災から時間が経つと、軽症の人ばかりなので、学校の保健室にいてもヒマです。差し入れの弁当など食べていて、本当にこれでいいのか、と思うくらい仕事がなくてヒマだった。

仕事して初めて買った、マックのノートパソコンを持ち出して、震災の記録を書いていました。今でもオンラインで読めます。

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/book/10-27/html/

 

 

 

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